雨季における活動

6月に入り雨季が本格化し、スコールが降る日もあります。
PHJカンボジア事務所前の道路は水没し、
車が通るたびに水があふれ駐車スペースに水が入ってきます。
というわけでPHJカンボジア事務所は洪水が起こらない地域へ引っ越し中です。

農村地域の道、雨季はこういう状態です。

活動への影響としては、田植えが忙しくなり
保健教育などの活動に参加できなくなる場合があります。

6月は25村での保健教育を実施しました。
トピックは「予防接種」です。参加者は全部で654人(そのうち15歳未満の子供が270人)。
一村につき26人の参加者がありました。保健ボランティアで参加した人は50人中39人でした。
野良仕事があるため、村長に人集めを託して不在にする保健ボランティアもいました。

熊本地震活動報告(全日病ニュース7/15)

全日病ニュース7/15号より地震発生の4月14日から5月初旬までの活動の報告のまとめを抜粋します。
■全日病と日本医療法人協会の合同対策本部を設置
今回の支援活動の特徴は、まず、全日病と日本医療法人協会が合同災害対策本部を立ち上げたこと。これにより被災地における拠点を設置したり、人を派遣する上で役立った。
・先遣隊を派遣したことや ためらわず行うPush 型の支援も特徴としてあげられるだろう。
・病院支援においては災害時医療支援活動班 AMAT(All Japan Hospital Association Medical Assistance Team)の活躍が大きかった。入院診療支援(緊急増床分)と外来診療支援(夜間時間外救急)さらに避難所の巡回診診療などの活動を行った。
■発災直後から迅速に対応(14日~16日)
災害発生時は最初の3日間が非常に重要である。
・4月14日には、本部事務局に災害対策本部を仮設した。発災の 30分後には全日病事務局に事務員2人がかけつけ、対策に入った。まず熊本県内の会員病院の被災状況を確認した。
・4月15日 11時には、全日病と日本医療法人協会の合同で、災害対策本部を設置。発災から 14時間で、対策本部を立ち上げた。
・4月16日の午前1時 25分に本震が発生した。前震の被災状況から、今回の震災はあまり大きくないと認識していたが、本震後の状況をみて認識が大きく変わり、支援活動をリセットすることとなった。
■支援物資の搬送で協力を得る(16日本震から)
16日に、白鬚橋病院の AMAT が空路で出発。同病院の大桃院長は、救急・防災委員会の委員であり、災害医療の専門的知識を持っているため先遣隊として現地に入っていただいた。
現地の会員病院から水や食料が不足しているという連絡があり、対策本部にて早急に対応を検討した。
支援物資の搬送に当たっては、福岡県の田主丸中央病院・ヨコクラ病院を拠点として熊本市内に搬送することとした。もう一つのルートは鹿児島県から搬送するルートである。災害対策本部で鉾之原常任理事・鹿児島県支部長(市比野記念病院)が物資の搬送を申し出ていただいた。
余震が続き、熊本市内の状況がわからない状況だったが、鹿児島県から市比野記念病院、国分中央病院、サザンリージョン病院の3隊が熊本市内に水や物資を運んだ。こうして初期の一番たいへんな時期に水と食料を届けることができた。
16日には全日病の災害救援物資の搬送チームが出発した。全日病本部では、いざというときの災害救援物資を備蓄しており、すべての救援物資を被災地に運ぶことを対策本部で決め、事務局員の2人が物資を持って現地に入ることとした。
熊本市内では、青磁野リハビリテーション病院を支援物資の拠点とすることとし、AMAT も同病院を拠点に活動を展開した。
【AMAT 派遣元・派遣先・期間】
・織田病院(派遣元) →熊本赤十字病院(派遣先) 4/15~ 4/16(期間)
・ヨコクラ病院→ 熊本赤十字病院 4/15
・白鬚橋病院→青磁野リハビリテーション病院 4/16~ 4/20
・赤穂中央病院① →青磁野リハビリテーション病院 4/16~ 4/18
・南多摩病院①→ 青磁野リハビリテーション病院 4/16~ 4/21
・永生病院① →青磁野リハビリテーション病院 4/17~ 4/20
・赤穂中央病院②→ 東病院 4/16~ 4/22
・永生病院②→ 東病院 4/20~ 4/24
・南多摩病院②→ 宇城総合病院 4/21~ 4/24
・霧島記念病院→ 東病院 4/23~ 4/24
・南多摩病院③ →宇城総合病院 4/25~ 4/28
■支援物資に対するニーズの変化
支援物資に対するニーズは時間の経過とともに変化する。
発災から3日間は飲料水の不足があったが、それを過ぎると水の需要は満たされた。医薬品・衛生材料などの需要は7日目くらいまで、日用品・食料品の需要は 14日目くらいまでであった。
現地では、4月 20日〜5月7日まで、県内の会員病院に毎朝9時にファクスを送り、支援物資の在庫状況を情報提供し、各病院に必要な物資をとりにきてもらった。
全国からオムツなどの支援物資を提供していただいたが、今回の地震ではイオンなどが大量の物資を送ったこともあり、支援物資は若干余ることとなった。
AMAT は東病院と宇城総合病院に人を派遣してしっかりした支援をすることができた。
5月17日には、西澤会長とともに被災地を視察し、阿蘇立野病院を訪れた。病院の裏側でがけ崩れがあり、撤収の判断をされたことは適切であったと思う。
同病院の上村院長にお会いし、復旧に向けてがんばるという意欲にあふれた表情をみることができた。
今回の熊本地震では、様々なことを経験した。AMAT は、災害時に民間病院が助け合うためにつくったものであり、今回その機能をしっかり果たすことができた。大きな震災がいつ起こるか分からないのが日本であり、今回の経験を活かして備えを確かなものにしていきたい。

歯のケアについて講義

サンサイ病院での健康教室では病院の歯科医師が基本的な歯のケアについて指導しました。
とくに保護者の方にはソフトドリンクや甘味料の入った飲料よりも水を飲む習慣をつけるように強調しました。

正しい歯磨きの方法を示し、歯ブラシ、練り歯磨き、パンフレットを配布しました。

新しい助産診療センターで保健教育スタート

カンター村、アレージョン村で完成したばかりの助産診療センターで保健教育がスタート。


母子保健教育の内容としては、産前のケアが中心となり、妊産婦の出産前の健康維持、出産の前のリスクサイン、産前の妊婦健診の重要性を伝えました。
対象は、両村の妊産婦となり、実際の参加者はアレージョン村が12名、カンター村は11名でした。
助産師とボランティアを中心として、保健教育のための利用が実際に行われており、さらなる村人の利用を促進していきたいと考えます。

熊本地震による被災した病院の様子

熊本地震医療支援募金の使途は被災病院の復興に向けた支援となります。
被災した2病院の状況をご報告いたします。
なお、各病院のホームページにも写真とともに詳細な情報を掲載されていますので、
あわせてご覧ください。
●社会医療法人ましき会益城病院
精神科・心療内科・小児科・歯科 210床
6月現在、被災しながらも、外来診療は継続中。入院施設は一部で再開したものの、復旧工事中で十分なサービスの提供が出来ていません。
・ホームページ http://www.mashiki.jp/
・震災後の広報誌(被災状況と復興に向けたメッセージ) http://www.mashiki.jp/pdf/reborn.pdf
●被災後の院内状況図↓


院内の状況を説明する益城病院犬飼邦明理事長

亀裂が入った床



●医療法人社団順幸会阿蘇立野病院
(内科、循環器内科、消化器内科、泌尿器科、外科、心臓血管外科、肛門外科、
整形外科、脳神経外科、リハビリテーション科・88床)
6月21日現在、阿蘇立野病院は被災し院での診療を中止しています。
なお6月1日より、陽ノ丘荘の近くで「上村ぬくもり診療所」を開設し、診療を再開しています。
・ホームページ(被災状況) http://asotateno.ecgo.jp/page0171.html



病院周辺の住宅の様子

アレージョン村 助産診療センター寄贈式

カンター村につづき、アレージョン村でも助産診療センターが完成しました。
アレージョン村の助産診療センターは大塚製薬(株)の寄贈によるもので、
6月24日に寄贈式が行われました。

助産診療センターと助産師さん。

左:ネピドーカウンシル役員: Mr.H.E.U Tin Htut
右:大塚製薬株式会社 業務管理部部長:吉永芳博様

寄贈式に列席したアレージョン村の方

センター内部
大塚製薬株式会社のニュースリリースにも詳細が書かれています。

PHJスタッフによる被災地出張

6/20~6/22熊本へPHJスタッフの北島、横尾で出張しました。
生憎、災害警報がでるほどの猛烈な雨に恵まれましたが無事に予定通り訪問先を回ることができました。
熊本空港から熊本駅まで移動し、レンタカーを借りて昨年PHJがミャンマーに送った救急車を寄贈してもらった上益城消防本部を訪問しました。ミャンマーでの救急車の運用状況を報告しつつ、震災時のお話も伺いました。震災発生当初は、震源地ともあって24時間体制で災害対応を行っていたそうです。現在では通常の勤務時間に戻ったとのこと。PHJスタッフとしても、救急車を寄贈してくださった町が震源地になるとは思いもよりませんでした。

その後、支援物資搬送の拠点となった「青磁野リハビリテーション病院」を訪問しました。金澤理事長からは発生から2ヶ月以上経過し、緊急医療から復興までの段階に来ているがこれからは被災した方の心のケアが最も重要との話でした。

また、南阿蘇郡西原村も訪問。メディアではあまり取り上げられていませんが、6割以上の家屋が全半壊で、5つの集落のうち、3つは壊滅状態で、死者は5名。全日病様よりご紹介いただき、西原村社会福祉協議会を訪問しました。写真にもあるように住宅街のなかで屋根にビニールシートがかかっている家屋は、住民の方住んでいらっしゃるとのこと。


被害の多い集落は集団移転も検討しているとのことでした。最後は上益城郡の御船地域包括支援センターを訪問しました。ここは隣接する総合スポーツセンターが避難所になっており、体育館に現在も200名の方が一区画2m×2mのスペースをシートで囲って生活していました。

隣では他県からのボランティアが食事や洗濯などの手伝いをしていた。ボランティアの人々の元気で明るい声を聞いたり、“ガンバロー”の張り紙や絵を見るたりすると、一日も早い復興を願わざるを得ません。

仮設住宅ができはじめ、すでに入居が始まってきています。
既に東日本大震災支援で経験したが、熊本地震でも自然災害の恐ろしさを改めて再認識した今回の出張でした。
PHJでいただいた募金は今後、被災地の病院機能の復興支援に充てる予定です。
 

ピア教育ルーム、続々

5月は3つの高等専門学校で、ピア教育ルームの開所式を開催しました。5月19日のCICEC高等専門学校では、VIP20名、ピアデュケーター20名、学生500名が出席しました。出席者の数からしても、この活動に対する学校全体の関心の高さがうかがえます。在チェンマイ日本総領事も出席し、MOFA助成金に対する謝辞をうけました。


学生500名が参加!

ピア教育ルームの内装

外から見たピア教育ルーム

保健センター運営支援1年目の変化

2015年4月から開始した保健センター運営の活動が1年経過し、
変化が見え始めています。
たとえば
スタッフが理由なく不在のこともあった保健センターに
スタッフが常駐するようになったり、
器材の管理、衛生状態の管理も向上
し始めているとのこと。

また地域のニーズに応えられる
質の高い保健センターを目指して、
保健センター運営委員と保健ボランティアの会議では、
保健ボランティアが遠慮せずに言いたいことを言えるようになってきました。
村人の意見(困ったことや良かったこと)が伝えられ、保健センタースタッフもきちんと検討するようになった
とのことでした。
会議を通して、地域と保健センターの信頼関係が構築されると、
治療や健診、出産のために、
保健センターに出向く人も増えていくことが期待されます。

カンター村 助産診療センター寄贈式

NTTファイナンス(株)寄贈によるカンター村の助産診療センターが完成しました。
6月3日はカンター村にてNTTファイナンスの代表取締役社長を招いての寄贈式を行いました。

中央左側からNTTファイナンス代表取締役社長(当時)前田幸一様、PHJ理事長小田、PHJ東京事務所スタッフ田村、NTTファイナンス広報渡辺浩太郎様、PHJミャンマー事務所長真貝。
ミャンマー側は右からタッコン郡事務長、ネピドーカウンシル役員、ネピドーカウンシルの保健局員、保健省公衆衛生局長、お坊様です。

挨拶をする前田社長


助産師さん達


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